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2016カンボジア渡航日記~5日目~

2016/10/11

トゥールスレン収容所

こんにちは!

渡航日記5日目です。とうとう半分までやってまいりました!

5日目は休息日だったので、キリングフィールドとトゥールスレン収容所に行ってきました。
初めて行った牧野くんがそのとき感じたことを書いてますので、ご覧ください!!

では♪

 

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『罪なく虐殺された犠牲者に思いを馳せて』

 

こんばんは!

今日はフィールドワーク6日目で、トゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドに行ってきました。

カンボジアでは1975年にポルポトがロンノルに代わって政権を掌握してから1979年に崩壊するまでの4年間ほどで、約300万人の人々が同じカンボジア人の手によって虐殺されました。

トゥールスレン虐殺博物館(別称:s―21)はもともと高校だったらしいのですが、ポルポト政権時に医者や学者などの知識人をはじめとする罪なき民衆が監禁され拷問された収容所であり、12,000~20,000人もの人々が収容され、生きて帰れた人はわずかに12人ほどだったとか。

キリングフィールド(チュンエク大量虐殺センター)はトゥールスレン収容所で拷問された人々が連れてこられて虐殺された場所です。

写真やオーディオガイドで見聞きする残虐極まりない行為の数々にとても胸が詰まる思いでいっぱいでした。収容され拷問を受けたり労働を強いられたりした人々は一体どんな気持ちで一日一日を生きていたんだろう、そもそも生きているという実感はあったのだろうか、ということを考えたり、実際の拷問の様子等を想像したりしようものなら頭がおかしくなりそうでした。

今回トゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドを訪れてみて個人的に思ったことが主に三つありました。

一つ目は、ポルポト政権がどうしてここまで残虐非道な行為をできたのか、それは共産主義(ポルポト政権はバリバリの共産主義)と結びつけることができるのか、それとも共産主義とは関係なくポルポト政権の役人たちの人格がただただ残虐であっただけなのかということです。機関銃や爆弾で殺すのとは違ってナタやハンマーで殺したり、ヤシの木の尖った幹でのどを掻き切ったりすることは自分の目の前で行わなければならず、リアリティの実感が強くてとてもじゃないけど常人にはできないことです。それができてしまうというのはやはり何かしらの強い動機なり思想が関連するのではないかと思いました。

キリングフィールド

二つ目は、このポルポト政権時の大虐殺に限らず他の残虐な事件にも言えると思うのですがその出来事だけに気を取られてしまうと、その張本人や実行者(ポルポト政権の幹部)だけが悪かったのだと思いがちになり、全体(の流れ)が見えなくなってしまうことです。もちろんポルポト(と幹部たちなど)がやったことは非常に残虐であり決して許されることではありません。ただその出来事をもっとマクロ的視点で見ると、ポルポトが政権を掌握する前はロンノルという軍人がクーデターにより政権を握り、親米派だった彼はアメリカの(ベトナムとの国境寄りのカンボジア国土への)空爆を容認しました。結果、アメリカがカンボジアに落とした〈使用した〉爆弾の数は二次大戦で使用した爆弾の数よりも多く、10万人以上のカンボジア国民が犠牲となりました。カンボジア国民はロンノル政権に絶望し、当時タイとの国境沿いでゲリラとして活動していたポルポトがその状況に付け入り、政権を掌握、カンボジア国民はポルポトたちを歓迎しました。と、このように長く歴史を見ると、単にポルポトが悪いんだとか、全部ポルポトの責任だ、ポルポトさえいなければ…という話でもないと考えられると思います。これはヒットラー然り、現代のIS然りだと思います。

トゥールスレン収容所②三つ目はこの虐殺の歴史とは関係のないことなのですが、トゥールスレン博物館やキリングフィールドは、アンコールワットやマーライオンなどの(観光のための)観光スポットではなく追悼施設であるにも関わらず他の多くの観光客は何のためらいもなく写真を撮っているのを眼にして(少なくとも僕にはそう見えました)、違和感を覚えたことです。トゥールスレンやキリングフィールドが一観光スポットであるならまだしも、人々が拷問され人としての扱いを受けなかったり虐殺されたりした場所であり、何の罪もなく無惨に殺されていった人々やその時の悲惨な状況に思いをはせるべきなのに、セルフィースティック片手に埋葬地の写真を平気で撮ったり当時収容されていた人々の写真が展示されているところで何のためらいもなく団体写真を撮ったりする観光客がいて、これって純粋に人としてどうなんだろう、彼ら彼女らにとってこの場所はどういう位置づけなのだろう、何しに来たのだろう、と思ってしまいました。ただの一観光スポットとして来ているからなのか、それとも自分事のように捉えられていないからなのか、彼らがどうしてそういうことができるのかはわからないけれど、とても残念な気持ちになったし、後世の人たちへの伝承という目的がないがしろにされているし、なにより虐殺の犠牲者や遺族に対して失礼だと感じました。

 

なににしろ、カンボジアでの教育支援に携わるものとして、今日一日カンボジアの悲惨な歴史を深く知り、記録の一保存者になれて有意義な一日でした。フィールドワークも後半に突入したので、最後まで気を抜かずにたくさん知ってたくさん考えたいと思います!

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